聖域

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 小学校でずっと学級委員長を置いてこなかった鳥取県。「リーダーを選ぶのではなく平等を重視すべきだ」との考えが教員にあり、徒競走でも順位を決めないほどだったが、この春、鳥取市の1校で約20年ぶりに学級委員長が生まれることになった。「横並びでは子どもの主体性が無くなる」という鳥取市教委は、各校に「委員長復活」を推奨している。学級委員長を置かない学校は全国的にも少なくないが、今回の動きはどんな影響を与えるか――。

恐るべし鳥取県

 県内の学校現場の「平等主義」は他にも例があった。運動会の徒競走で、児童の能力にあわせてコース内に「近道」を作ってゴール付近で接戦になるように調整する。学芸会で、一つの劇の主役を複数の児童が途中で交代して演じる――。「うまくできない児童の気持ちを最優先に考えるような時期があった」(同市教委)という。

ち、近道…


さて、学級委員。
個人的な話をすれば、小学校3年以来、毎年やっている。
基本的に例外なく前期の委員長を務めてきた。


多分、「学級委員担当」の生徒っていうのがいると思う。

自分もそれ。
あれはリーダーとかそういうのとまた違う。
何というか、今の自民党みたいに派閥は派閥で別にある。
でも表向きの代表として置いておきましょう。
そういう有名半実くらいの感じ。


でも、あれは自分にとってはアイデンティティの存亡が掛かってた。
そういうキャラで通して来た以上、やらないわけにはいかない。
選出会議は”なあなあ”な決め方で決まるものだった。
「あいつがやる」という流れの御陰で、投票があったのは二回ほどしかない。
でも、その「あいつ」になることに意味があった。


学級委員長を決めるのはクラスのリーダーを決める訳じゃない。
それによって序列や派閥はできない。
或る1人がクラスの中で国連事務総長にされてしまうだけ、そんな程度。
事務総長は常任理事国からは選ばれない。


というわけで、鳥取県の皆さんが心配してるような事態は起こりえないだろうと。
権力闘争ってのは表沙汰にはならんのです。