次元

勉強を「強いて勉める」と読むか「勉めて強める」と読むかは不問。


本日の読売33面より。
ゆとり教育に対する高校の独自の対策みたいな記事。
京都市立堀川高校と都立日比谷高校が並んで挙げられていた。

堀川高校の説明の後で)
校長によると、生徒達は論文を経て「勉強好き」になるそうだ。
自ら思考力を鍛えることは、一般の学習で理解力を深めることにつながる。
それが勉強を面白くさせ、取り組む姿勢をも変えるという。
(略)
(ある生徒の例を挙げ)日本史にもいっそう興味が出たという。

(日比谷高校の後で)
同じ教科が連続する時間割は、教師が裁量で休み時間をカットできる。
(略)
「勉強は正直つらいけど、この学校で成績上位なら希望の大学に行ける」
二年男子の言葉には確信があった。

日本の官僚が教育行政下手な理由がわかった気がする。
そりゃ、「つらい」と思ってるものを変えようとすれば「ゆとり」になる。
でも「ゆとり」は歓迎されなかった。
実は「つらい」って思ってない人の方が多いのかも知れない。


勉強の目的は大学に入るためでもなければ就職のためでもキャリアアップのためでもない。
知りたいから、変えたいから。
楽しいから、面白いからやってるはずなのに。
進学?就職?そんなもんなんですか。


そもそも個人的には”効率的”とか”量より質”とかそういうものが嫌い。
”試験に出るから”とか”仕事で使えるから”とかそういうのは正当じゃない。
当然問題集や用語集は「頻出」でなくあえて「標準」を買います。
「厳選」よりも「徹底」が好きです。
勿論、基本や頻出が重要なのは言うまでもないですが、それに留まるのはどうよ、と。
知識は「ラーの鏡」や「ふねのチケット」じゃない。